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自分の納得出来る生き方、在り方を求めて思索し続け、省察と観察を続ける日々の雑感、随想を綴ります。
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韓国教員大学歴史教育科『韓国歴史地図』114-115ページで、李氏朝鮮の、船舶の法定規格を示す史料を見ました。
河川用船舶
  • 大 16.6m*3.1m
  • 中 13.9m*2.7m
  • 小 12.4m*2.4m
海洋用船舶
  • 大 12.7m*5.7m
  • 中 10.2m*4.1m
  • 小 5.7m*1.9m
李氏朝鮮では、陸運よりも水運が発達していたため、各地方で税として徴収された穀物や物品は、河川や海を経る水運によって主に輸送されていたそうです。
船舶は初めは政府が建造していたが、15世紀末に国家財政が衰え始め、船舶の建造が難しくなると、民間の商業活動や遠洋漁業が盛んになったのと相俟って、次第に民間の船舶に輸送を依存するようになったそうです。
税穀は、各地方に設置された漕倉(物品貯蔵庫)に陸運や水運によって集められた後、主に水運によって京倉(漢城(ソウル)の漕倉)に輸送されたそうです。
漢城(ソウル)の主な河港は、いずれも汝矣島対岸に位置する竜山、麻浦、西江で、慶尚道や江原道から漢江上流を経由して入る品物は竜山津に、その他の地方から海路を経て入る品物は西江津に集められたそうです。
ソウルには一度行って漢江を見た事が有りますが、確かに、海のように広い川で、私が見た限りでは日本やトルコやヨーロッパの川よりも広く、水運が発達したのは頷ける、と思いました。
尚、漢城(ソウル)から遠く、収穫量が少なかった平安道、咸鏡道、済州島の税穀は、上納されず、その地方で使用されたのだそうです。

李氏朝鮮については、儒教国家という位のイメージしか無く、国の中がどんな世の中だったのかについては殆ど知りませんでしたが、こういう情報を知ると、李氏朝鮮の国情を少し垣間見る事が出来たような気がします。



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