自分の納得出来る生き方、在り方を求めて思索し続け、省察と観察を続ける日々の雑感、随想を綴ります。
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Survival of the fattest on Flickr - Photo Sharing!
天秤を持つ太った女性が痩せた男性に肩車されているこの像は、最近、デンマーク、コペンハーゲンの「人魚姫」像の傍に置かれて話題になった像だそうです。
デンマークのJens Galschiøtさんの2007年の作品だそうです。
コペンハーゲンでは、12月7日~18日に国連気候変動枠組み条約第15回締約国会議(COP15)が開かれ、京都議定書に定められていない2013年以降の地球温暖化対策について話し合われました。
この像は、そういった地球温暖化対策において、先進国が正義を振り翳して途上国に負担を掛けようとするのを風刺しているそうです。
上の女性が先進国を表していて、その肥満体が先進国の富裕を、手に持つ天秤が先進国の振り翳す正義を表し、下の男性が途上国を表していて、その痩身が途上国の貧困を表しているようです。
私は、この像が表す有様は、地球温暖化対策での先進国と途上国だけに限らず、今の世の中の支配的な人々と被支配的な人々の関係そのものに当て嵌める事が出来る、と思います。
支配的な人々の豊かさと正しさ、つまり、得と徳は、被支配的な人々に強いられた犠牲の上に成り立っています。
支配的な人々は、足の下で被支配的な人々を虐待しながら、それによって支えられている自分達の豊かさと正しさ、得と徳に有頂天になっています。
そして、それらを失う事を恐れている為に、それらを満喫する事に益々血道を上げています。
彼らが自分達の得と徳を確認したがればしたがる程、被支配的な人々は益々虐げられます。
今の世の中はそんな世の中だ、と思います。
つまり、彼らは下種です。
とは言え、虐げられている人々が下種ではない、という保証は有りません。
彼らも、自ら得られる筈だと思う得と徳を確保しようとして、自分の当て込みを他者に押し付けているかも知れません。
とても興味深い像です。
参考ページ
- Survival of the fattest on Flickr - Photo Sharing!
- Survival of the Fattest on Flickr - Photo Sharing!
- 人魚姫、「正義」教えて=デンマーク(時事通信) - Yahoo!ニュース
- COP15とは? - デンマーク大使館
- 時事ドットコム:COP15
- 模索の道 下種(げす)とは
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粟谷塾開塾に先立ってウェブサイトを開設しました。
当面はウェブサイトで、小学生、中学生、高校生が学校で習う単元の中から分かり難そうな事項を選んで、分かり難い急所を分かり易く、私なりに簡単に説明した文章を公開して行くつもりです。
FC2ホームページで公開していて、携帯電話にも対応しているそうなので、文章の長さやレイアウト等は、携帯電話で見ても見難くないように配慮しています。
まだほんの少ししか出来ていませんが、徐々にページを増やして行く予定です。
興味がお有りの方は、是非一度お越し下さい。
参考ページ
粟谷塾粟谷塾は、神奈川県横須賀市に開塾予定の個人塾です。
当面はウェブサイトで、小学生、中学生、高校生が学校で習う単元の中から分かり難そうな事項を選んで、分かり難い急所を分かり易く、私なりに簡単に説明した文章を公開して行くつもりです。
FC2ホームページで公開していて、携帯電話にも対応しているそうなので、文章の長さやレイアウト等は、携帯電話で見ても見難くないように配慮しています。
まだほんの少ししか出来ていませんが、徐々にページを増やして行く予定です。
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「模索の道 下種(げす)とは」と題したページで、私の言う「下種(げす)」を次のように定義しました。
そして、得または徳を失うことへの恐れから、他人の動機をも、得または徳を失うことへの恐れだ、と当て込み、その当て込みを押し付けるようです。
これは、互いが下種の場合には、暗黙の了解になって居心地が良いようですが、下種ではない者にとっては、甚だ煩わしいことです。
なぜなら、下種は、相手の動機が理解出来ないと、元々自分の得または徳を失うことを恐れているので、自分の得または徳が脅かされている、と勘繰り始めるからです。
そうすると、下種に理解出来ない動機を持っているだけで、下種に不安を感じさせ、下種の攻撃対象にされてしまうことになります。
攻撃される側にとっては、全く思いもしなかった攻撃、一方的な当て込みに基づいた見当違いの敵対を受けることになります。
そして、下種のこの誤解は、上記のように、下種の精神構造の根幹に基づいているので、そう簡単に解くことは出来ません。
全く煩わしいことです。
参考ページ
【下種】 得または徳を失うことを恐れて、当て込み、それを他者にも押し付ける、そのような志を持つ者下種には、得または徳を失うことへの恐れ、という動機しか無いようです。
そして、得または徳を失うことへの恐れから、他人の動機をも、得または徳を失うことへの恐れだ、と当て込み、その当て込みを押し付けるようです。
これは、互いが下種の場合には、暗黙の了解になって居心地が良いようですが、下種ではない者にとっては、甚だ煩わしいことです。
なぜなら、下種は、相手の動機が理解出来ないと、元々自分の得または徳を失うことを恐れているので、自分の得または徳が脅かされている、と勘繰り始めるからです。
そうすると、下種に理解出来ない動機を持っているだけで、下種に不安を感じさせ、下種の攻撃対象にされてしまうことになります。
攻撃される側にとっては、全く思いもしなかった攻撃、一方的な当て込みに基づいた見当違いの敵対を受けることになります。
そして、下種のこの誤解は、上記のように、下種の精神構造の根幹に基づいているので、そう簡単に解くことは出来ません。
全く煩わしいことです。
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韓国教員大学歴史教育科『韓国歴史地図』114-115ページで、李氏朝鮮の、船舶の法定規格を示す史料を見ました。
船舶は初めは政府が建造していたが、15世紀末に国家財政が衰え始め、船舶の建造が難しくなると、民間の商業活動や遠洋漁業が盛んになったのと相俟って、次第に民間の船舶に輸送を依存するようになったそうです。
税穀は、各地方に設置された漕倉(物品貯蔵庫)に陸運や水運によって集められた後、主に水運によって京倉(漢城(ソウル)の漕倉)に輸送されたそうです。
漢城(ソウル)の主な河港は、いずれも汝矣島対岸に位置する竜山、麻浦、西江で、慶尚道や江原道から漢江上流を経由して入る品物は竜山津に、その他の地方から海路を経て入る品物は西江津に集められたそうです。
ソウルには一度行って漢江を見た事が有りますが、確かに、海のように広い川で、私が見た限りでは日本やトルコやヨーロッパの川よりも広く、水運が発達したのは頷ける、と思いました。
尚、漢城(ソウル)から遠く、収穫量が少なかった平安道、咸鏡道、済州島の税穀は、上納されず、その地方で使用されたのだそうです。
李氏朝鮮については、儒教国家という位のイメージしか無く、国の中がどんな世の中だったのかについては殆ど知りませんでしたが、こういう情報を知ると、李氏朝鮮の国情を少し垣間見る事が出来たような気がします。
参考ページ
河川用船舶李氏朝鮮では、陸運よりも水運が発達していたため、各地方で税として徴収された穀物や物品は、河川や海を経る水運によって主に輸送されていたそうです。
海洋用船舶
- 大 16.6m*3.1m
- 中 13.9m*2.7m
- 小 12.4m*2.4m
- 大 12.7m*5.7m
- 中 10.2m*4.1m
- 小 5.7m*1.9m
船舶は初めは政府が建造していたが、15世紀末に国家財政が衰え始め、船舶の建造が難しくなると、民間の商業活動や遠洋漁業が盛んになったのと相俟って、次第に民間の船舶に輸送を依存するようになったそうです。
税穀は、各地方に設置された漕倉(物品貯蔵庫)に陸運や水運によって集められた後、主に水運によって京倉(漢城(ソウル)の漕倉)に輸送されたそうです。
漢城(ソウル)の主な河港は、いずれも汝矣島対岸に位置する竜山、麻浦、西江で、慶尚道や江原道から漢江上流を経由して入る品物は竜山津に、その他の地方から海路を経て入る品物は西江津に集められたそうです。
ソウルには一度行って漢江を見た事が有りますが、確かに、海のように広い川で、私が見た限りでは日本やトルコやヨーロッパの川よりも広く、水運が発達したのは頷ける、と思いました。
尚、漢城(ソウル)から遠く、収穫量が少なかった平安道、咸鏡道、済州島の税穀は、上納されず、その地方で使用されたのだそうです。
李氏朝鮮については、儒教国家という位のイメージしか無く、国の中がどんな世の中だったのかについては殆ど知りませんでしたが、こういう情報を知ると、李氏朝鮮の国情を少し垣間見る事が出来たような気がします。
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※この記事は、2008/08/02 (土)に投稿した記事に加筆して再投稿しています。
飢渇丸は、江戸時代初期の忍術秘伝書『萬川集海』に書かれているという忍者の携帯食です。
『図説・忍者と忍術 決定版―忍器・奥義・秘伝集 (歴史群像シリーズ)』によると、「まだ熟しきっていないバナナの味に近い」とのこと。
3年も待たなくても、「急ぐ場合は火に掛けて水分を飛ばす。」で良いのなら、皆そうすると思います。
「3日」の間違いかな?
でも、「3年置く。」と「火に掛けて水分を飛ばす。」が同じレベルで語られている所が、のどかで良いと思います。
「御飯3年も掛かって御免。」「いいよ、急いでないから。」
良いですね。
のんびり忍者。
参考ページ
飢渇丸は、江戸時代初期の忍術秘伝書『萬川集海』に書かれているという忍者の携帯食です。
『図説・忍者と忍術 決定版―忍器・奥義・秘伝集 (歴史群像シリーズ)』によると、「まだ熟しきっていないバナナの味に近い」とのこと。
作り方(3粒)「酒が乾くまで3年置く。」って、間違っている気がしますね。
①朝鮮人参150g、蕎麦粉300g、山芋300g、乾燥させたハコベ(耳草)15g、鳩麦150g、餅粉300gを全て粉末にし、酒2升を注いで軽く混ぜる。
②酒が乾くまで3年置く。急ぐ場合は火に掛けて水分を飛ばす。
③酒が乾いたらよく練り、桃の種ほど(直径4センチくらい)に丸める。出来上がり。
3年も待たなくても、「急ぐ場合は火に掛けて水分を飛ばす。」で良いのなら、皆そうすると思います。
「3日」の間違いかな?
でも、「3年置く。」と「火に掛けて水分を飛ばす。」が同じレベルで語られている所が、のどかで良いと思います。
「御飯3年も掛かって御免。」「いいよ、急いでないから。」
良いですね。
のんびり忍者。
参考ページ
- Amazon.co.jp商品ページ
『図説・忍者と忍術 決定版―忍器・奥義・秘伝集 (歴史群像シリーズ)』 - 忍者が食べていたもの | 忍者マイスター
- 忍者食 飢渇丸で一日過ごしてみた ※『図説・忍者と忍術 決定版―忍器・奥義・秘伝集 (歴史群像シリーズ)』に書いてあるものとは随分違うみたいです・・・。
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韓国教員大学歴史教育科『韓国歴史地図』133ページで、李氏朝鮮の、大邱(テグ)地方の身分構成の変化を示す史料を見ました。
1690年から1858年までの、日本では江戸時代に当たる時代の史料です。
因みに、韓国の大都市の一つである大邱は、古くから慶尚道の道都だったそうで、現在も慶尚北道の道庁所在地です。
私は、1996年7月に船と列車でソウルに行った時、途中で通った東大邱(トンデグ)で、山の上にとんでもなく高い高層マンションが林立しているのを見て驚いたのを覚えています。
その後、2004年に、トルコのイスタンブル郊外でも同じような情景を目にし、それが世界の潮流なのだ、と知りました。
両班(ヤンバン)は官僚、常民は農工商業従事者、奴婢は奴隷や賤民を指すそうです。
両班が増えたのは、常民や奴婢が、両班の地位や族譜(家系についての文書)を買ったり族譜を偽造したりして、両班になったからだそうです。
一方、奴婢が減ったのは、軍役は常民が負担することになっていたので、常民を増やして軍役対象者を確保するべく、支配層が段階的に奴婢を解放したからだそうです。
身分制度が崩れ行く様を、数字で見るような感じですね。
参考ページ
1690年から1858年までの、日本では江戸時代に当たる時代の史料です。
因みに、韓国の大都市の一つである大邱は、古くから慶尚道の道都だったそうで、現在も慶尚北道の道庁所在地です。
私は、1996年7月に船と列車でソウルに行った時、途中で通った東大邱(トンデグ)で、山の上にとんでもなく高い高層マンションが林立しているのを見て驚いたのを覚えています。
その後、2004年に、トルコのイスタンブル郊外でも同じような情景を目にし、それが世界の潮流なのだ、と知りました。
両班 | 常民 | 奴婢 | 計 | |
---|---|---|---|---|
粛宗16年(1690年) | 290戸(9.2%) | 1694戸(53.7%) | 1172戸(37.1%) | 3156戸(100.0%) |
英祖5年(1729年) | 579戸(18.7%) | 1689戸(54.6%) | 824戸(26.7%) | 3092戸(100.0%) |
正祖7年(1783年) | 1055戸(37.5%) | 1616戸(57.5%) | 140戸(5.0%) | 2811戸(100.0%) |
哲宗9年(1858年) | 2099戸(70.3%) | 842戸(28.2%) | 44戸(1.5%) | 2985戸(100.0%) |
両班(ヤンバン)は官僚、常民は農工商業従事者、奴婢は奴隷や賤民を指すそうです。
両班が増えたのは、常民や奴婢が、両班の地位や族譜(家系についての文書)を買ったり族譜を偽造したりして、両班になったからだそうです。
一方、奴婢が減ったのは、軍役は常民が負担することになっていたので、常民を増やして軍役対象者を確保するべく、支配層が段階的に奴婢を解放したからだそうです。
身分制度が崩れ行く様を、数字で見るような感じですね。
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