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自分の納得出来る生き方、在り方を求めて思索し続け、省察と観察を続ける日々の雑感、随想を綴ります。
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ウェブサイトを作っていると、私には、ウェブサイトに積極的に載せようと思う程愛着の有る知識が無い事に気付きます。
私は、知識という物に価値を余り置かない価値観を持っている事を、しみじみ感じます。

私が知識に価値を感じない理由は、二つ有ります。

一つは、知識は時間と共に古くなり、絶えず更新し続ける必要が有って、切りが無いからです。
時間という物は今この時にも未来に向かって流れている事を思えば、知識は得た時点で既に歴史史料だ、と言っても過言ではない、と思います。

私が明確に知識の無価値さを思った初めは、1981年11月1日、小学4年生の時に、カリブ海に浮かぶ島国アンティグア・バーブーダが独立した時でした。
当時私は、世界地理に興味を持っていて、世界の国々の名前と首都の名前を、漸く全て覚えて、達成感に浸っていました。
正にその時に、アンティグア・バーブーダが独立したのでした。
折角全部覚えた筈だったのに、またもう一つ覚えなければならなくなった訳です。
ベリーズが同じ1981年の9月21日に独立しているので、多分、それから11月1日迄の間に、世界の全ての国と首都の名前を覚えていたのだろう、と思います。
それでも、一つならば大した事は無かったかも知れませんが、当時の世界地図を見れば一目で分かる、アフリカ南西部の大きな白地、ナミビアを初め、当時は他にもまだ独立しておらず将来独立しそうな国が幾つも在りました。
この時の徒労感は、今でもよく覚えています。
覚えても覚えても切りが無い事を、はっきり悟りました。
地理の知識を覚える事に、本当に馬鹿馬鹿しさを感じました。
それで、すっかり地理に対する興味が無くなり、歴史に興味が移ったのでした。
後に、ソ連ユーゴスラビアチェコスロバキアが解体されて、次々と新しい国が出来た時には、世界地理への興味を無くしていて本当に良かった、と思った者です。

United_Nations_member_countries_world_map.PNG
※画像は、国際連合加盟年によって色分けされた世界地図です。独立年ではありませんが、一般に新しい国の独立が世界的に承認されると国際連合加盟が承認される事が多いので、参考迄に載せました。出所はWikipediaです。

因みに、私が数学に、歴史程の興味を持たなかったのにも理由が有ります。
それは、三角形の内角の和は180度、というのが単なる決め事に過ぎない、と気付いたからでした。
どういう事かと言うと、地面に三角形を描けば、内角の和は180度であるように見えます。
しかし、その三角形をもっともっと拡げて大きくして、下の画像のように地球規模に拡げて、一つの頂点が北極点に達し、その点から出る二辺の間の角を、何度でも構いませんが例えば50度になるようにし、その二辺がそれぞれ赤道に達し、底辺が赤道をなぞるようにして三角形を描くと、内角の和は180度にはなりません。
頂角が50度、底角は経線と赤道によって出来る角なのでそれぞれ90度になり、内角の和は50度+90度+90度=230度となります。
地球の表面は曲面なので、一見三辺は曲がっていて、この図形は三角形ではないようにも思えますが、地球表面のごく小さい一部が私達の目の前の地面、足の下の地面なのです。
つまり、曲面のごく小さい一部の事を平面と呼ぶ事にし、平面の上では地球の曲面に沿った曲線を直線と呼ぶ事にし、平面の上では三角形の内角の和は180度だ、と決めただけの事なのです。
逆に、地面は曲面なので地面の上に描いた三角形は厳密には三角形ではなく、紙の上に描いた三角形こそ本当の三角形だ、と考えるとしても、地面に広げた紙の端が浮いているとすれば、普通は、地面ではなく紙が曲がっている、と見做されます。
このように、数学とは、決め事を前提として、その前提の上で考えたらどうなるか、を考える学問です。
私には、そのように他人が決めた前提の上で物を考える事に、大した意義を見出す事が出来ませんでした。
精々頭の体操程度の事で、それ以上の意義を見出す事は出来ませんでした。

地球表面に大きく描いた三角形(内角の和230度)と小さく描いた三角形(内角の和180度)
※画像は、地球表面に大きく描いた三角形(内角の和230度)と小さく描いた三角形(内角の和180度)です。左の三角形は、北極点を頂点とし、赤道を底辺とする二等辺三角形で、内角の和が50度+90度+90度=230度になっています。右の三角形は、秋田県男鹿半島の衛星写真上に描いた三角形で、この位狭い範囲に描くと、三角形の内角の和はほぼ180度になります。出所はWikipediaです。

話を戻して、私が知識に価値を感じない理由のもう一つは、知識は一つの見方を表しているに過ぎないからです。
同じ現象を見ても、見る人が違えば見方も違い、見方が違えば表現の仕方も違ってきます。

そして、この10年、「神が教えてくれなければ何が正しいかは分からない。」という考えを明確に持つようになってから、この二つには益々拍車が掛かりました。
未来の事は分からないのであり、また、真実が分からないから新説の出る余地も有るのであり、また、真実が分からないから人それぞれの見方が有る(人それぞれの見方しか無い)訳です。
ですから、知識に対する私の価値観は、一層深まって、益々下がる事になりました。

歴史の知識についても同じです。
私が地理への興味を捨てて歴史に興味を持つようになったのは、済んだ事は変わらないだろう、と思ったからだったかも知れません。
しかし、過去の事が全て今の私達に分かる訳ではなく、歴史の知識とは、見付かった史料を基にして立てられた仮説に過ぎないのでした。
ですから、やはり、新しい史料が見付かる可能性は絶えず有り、実際新しい史料はよく見付かるので、歴史の知識もまた絶えず更新の必要が有って切りが無く、また、その史料に対する見方も人それぞれなので、歴史の知識は一つの歴史観を表しているに過ぎません。

聖書の『伝道の書』(または『コヘレトの言葉』)は興味深い事を述べています。
知識のよいところは、知恵者がそれで救われるところにある。-7:12(バルバロ訳)
知識の価値は、知恵を働かせる為の道具になる所に有る、と言い換えられる、と思います。
これには同感です。



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在野の思索家です。家塾粟谷塾を経営しながら、自分の納得出来る生き方、在り方を模索しています。
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