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自分の納得出来る生き方、在り方を求めて思索し続け、省察と観察を続ける日々の雑感、随想を綴ります。
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模索の道」に、「戦争はなぜ起きるのか?―日清戦争における陸奥宗光の場合」を公開しました。
日本近代屈指の外務大臣として歴史に名を残す陸奥宗光(1844年~1897年)が日清戦争の開戦を決断した動機を、陸奥本人の告白記録『蹇蹇録けんけんろく』を紐解いて分析した小論文です。

実は、このページを作り始めたのは2009年1月の事で、今日出来上がるまでに丸2年掛かりました。
そんなに時間が掛かったのは、陸奥の動機が言わば二段構えで、それを私が的確に把握するのに手間取ったからです。

先ず、陸奥には、得と徳を失う事への恐れが有ったようです。
これが陸奥の開戦決断の動機の一段目だったようですが、これだけでは開戦決断には至らなかったようです。
とは言え、二段目の動機は、一段目の動機が無ければ出てこない物です。
二段目の動機、つまり、開戦決断に直接繋がった動機は、ロシア政府の介入を脅威と感じた故の、ロシア政府の真意に対する悪い当込みだったようです。
その為、陸奥は、ロシア政府に本格的に介入される前に事態の決着を図ろうとして、開戦を決断したようです。

戦争はなぜ起きるのか?―日清戦争における陸奥宗光の場合」の後半では、この決断が早まった決断だったかも知れない事や、この決断が本来の陸奥宗光の人柄から出た物ではなかったかも知れない事を書きました。
一人の人間としての陸奥宗光に、幾らかでも近付けたのではないか、と思います。

それでは、どうぞ、「戦争はなぜ起きるのか?―日清戦争における陸奥宗光の場合」をお楽しみ下さい。

参考ページ

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在野の思索家です。家塾粟谷塾を経営しながら、自分の納得出来る生き方、在り方を模索しています。
粟谷塾のブログ「粟谷塾の夜話」も随時更新中です。
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